あたしは最後のフレーズまで吹き終えてほっとため息をついた。
このところ何度も繰り返しているのに、納得のいく演奏にはならない。
どこが悪いのかがわからなくて、吹奏楽部の仲間に聞いてみるんだけど、みんな首をひねっていた。
「なんか、ちょっとだけ違うような気もするんだけど、このままでもいいんじゃない。なにか気に入らないの?」
そんな言葉が返ってくる。
そのちょっとだけが問題なのだ。でも、いったい何が違うのかが、よくわからない。
先輩に聞いてみようと思っているんだけど、今はオーディションを控えていて、先輩たちの血相が変わっているからなかなか聞きづらい。
オーディションの資格があるあたしたち一年生も必死になっているけど、それより今年が最後の三年生たちとは必死度が違う。
今日はここまでにしようと楽器を簡単に手入れして、ケースに戻す。家に持ち帰ってまた練習するつもりだから。
「あれっ?あすかったら、いったい何を騒いでいるんだろ」
あたしが練習していた部屋の外で、同じ吹部のあすかが大声を出している。なんだか怒っているみたいだ。いったいどうしたんだろう。
カラカラと引き戸を開けると、甲高い声が耳に刺さった。
「いったいどういうことなんですか!?」
「いや、その、気に障ったのならごめん」
どうやら通りかかった男子生徒たちに食って掛かっていたらしく、あすかの剣幕に恐れをなしたのか、一人は腰が引けた様子だ。
「あすか、どうかしたの?」
とたんにくるりと振り向いてきてあたしに言った。
「ちょっと、聞いてよ!この人ったら、くみの演奏を聞いて、『気持ち悪い』って言ってたのよ!」
「いや、だからね。気に障ったならごめんって」
二人いた男子の中の、眼鏡をかけた方がひどく困った様子でしきりに謝っていた。色白な顔の耳や目元がほんのり赤く染まっていた。
「ごめんごめん。悪口を言ってたつもりじゃないんだ」
その隣で苦笑しながら謝っていたのは・・・・・生徒会長?
えと、上級生に食って掛かっていたっわけ。
「じゃ、な」
そそくさと二人が立ち去っていったあと、あたしはあすかに事情を尋ねた。
「そろそろ下校時刻だから、校門が閉められる前にくみを迎えに来たのよ。この間みたいに、見回りの先生に叱られたらまずいでしょ?
でね、教室の前まできたら、ちょうど通りかかっていたあの人たちとすれ違ったの。そのときにね」
二人は教室の前まで歩いてきたとき、窓からちらりと覗いていたとか。
『おっ、吹奏楽部の練習か。これって、チューバか?』
『ユーフォニアム、じゃないかな。僕もよくわからないけど』
『お前の耳で聞くと、どうよ。この演奏ってうまいのか?』
『・・・・・気持ち悪い音だね』
「気持ち悪いとは、ずいぶんな感想だな』
『気持ち悪いっていうのは僕だけが思うことかもしれないけど』
といった会話をしていたのを聞いて、あすかは思わず頭に血が上ってしまったそうだ。
「でね、思いっきり突っかかっちゃったの」
てへ、とあすかは舌を出した。一年生が三年生に向かって、無鉄砲だったかも、なんて今頃思ってるみたい。演奏を聞いたときの好みは人それぞれであり、聞いた感想に一方的に怒るなんて、こちらも悪い。聞いて感じたものに文句を言う筋合いではないのだから。
でも、突っかかったりしたのは、心の奥底ではあすかもそんなことを考えていたからかも?
「気持ち悪い、かぁ・・・・・」
「くみの演奏は気持ち悪くなんかないよ!あの人の耳が悪いだけなんだから」
でも、聞いた感想は私の心にトゲのように刺さってしまった。
あの上級生には、あたしの音はどのように聞こえていたのかな?
翌日学校に行くと、あすかがらんらんと目を輝かせてあたしの席にやってきてた。
「ねえねえ、ちょっと聞いてよ!くみ、昨日の上級生が誰かわかったわよ!あのひと、バイオリンを習っているんですって!だからえらそうなことを言ってたのよ」
守村悠季という名前で、小学生の頃からバイオリンを弾いているのだとか。でも吹聴したりしないので、知らない人が多いそうだ。
「でもね、長くバイオリンをやっているっていっても、本当にバイオリンをやりたいなら専門の学校にいっているはずでしょ?いってないならたいしたことないってことよね。こんな普通高校に通っていたりしないはずだもの。
だから本当に趣味だけなんだよね。バイオリンが弾けるっていってもその程度なんだから、くみも気にしないでいいって!」
あたしが昨日のセリフに傷ついたんじゃないかって思ったみたい。
「あすか、あたしべつに気にしてないから」
「だって、なんか深刻な顔してたし」
「本当に、気にしてないから。あすかも忘れて?」
「そう?」
「うん、それより今日の英語だけど」
それであすかの気持ちは昨日のことから離れたようだった。
でも、あたしは逆に気になって仕方なかった。彼にはいったいどんなふうに聞こえていたのか、どうしても聞いてみたかった。
とは言っても、気になる上級生を見つけ出して話をするなんてことは無理そうだった。今度行われる吹奏楽の地区大会の向けてがんばって練習中だったし、その上級生がどのクラスにいるのか聞かなかったから。
もちろん、あすかに聞けば教えてくれただろうけど、言えばきっと気にする。
だから、その守村という上級生に偶然ばったりと出会えたのは、本当に超ラッキーだったのよね。
あたしが部活の帰り道、守村さんのほうはバイオリンのレッスンの帰り道だったみたい。
「きみ、この間の・・・・・?」
どうやら守村さんもあたしのことを覚えていたみたい。
「あのっ、守村先輩。この間あたしのユーフォを聞いて、気持ち悪いって言ってましたよね?」
「ああ、この前の失言ね。ごめんね。気を悪くさせちゃって」
「いえっ。気にしてないです。それより、おしえて欲しいんですけど、あたしの演奏ってどこが悪いんでしょうか。
その、前から気になっていたんですけど、どこが悪いのかわからなくて。守村先輩がどうしてそう思ったのかおしえて欲しいんです!」
「おしえてくれって言われても、僕の個人的な感想を言っただけなんだから、アドバイスにはならないよ」
困ったように首を横に振る。
「でもっ・・・・・!」
あたしは吹奏楽部のことを話した。以前はみんながやる気がなくて、コンクールに出ることさえ考えられなかったけど、今の吹部は違う!
みんなが猛練習をしていて、なんとかコンクールに出られるようにって練習に励んでいる。それどころか全国大会に行こうという目標を掲げてがんばっている。
今回は全員がオーディションを受けることになっていて、あたしもなんとか受かりたい!そう思って一生懸命練習しているけど、このところどうしてもうまくいかない。
音はちゃんと出るようになった。リズムが悪かったのはメトロノームに合わせてなんとかうまくいった。それなのに、どこか気になってしまう。でもそれがなぜなのかわからない。
だから、守村先輩が『気持ち悪い』という感想を言ってくれたことで、どこが悪いのかわかるんじゃないかと思った。
そんなことを必死で言いつのった。
・・・・・なんであたし、こんなに懸命に説明しているんだろ。
「ですから守村先輩、おしえてもらえませんか?」
「先輩って・・・・・。守村でいいよ。そうだなぁ、うーん、えーと・・・・・。うまく言えるかなあ」
守村さんは悩みながら頭をかいていたけど、少し考えてから意を決したようにあたしを見た。
「バイオリンとユーフォニアムじゃ音域が違うからうまく伝えられるかわからないけど、僕の考えでよかったら伝えるよ」
「はいっ。ありがとうございます」
そしてあたしたちは音を出しても大丈夫な近くにある神社まで歩いていった。守村さんのおうちはここから少し遠いそうだし、暗くなってきちゃったから、あまり時間がかけられない。それでここを選んだの。
神様にいちおうご挨拶してから賽銭箱の上に楽譜を置いて、今回苦労している曲を吹いてみせた。
音の指運びは問題ないと思う。ブレスも強弱もたぶん、問題ない。でも、何かが気に入らない。
「・・・・・どうでしょう」
「音が違うからなぁ、うーん・・・・・と」
守村さんは楽譜を読みながらあれこれ悩んでいたけど、意を決したようにバイオリンを構えた。
「バイオリンの音程で弾くよ。気になった部分を少し強調してみるから」
そう言って鳴らしてみせたのは、音域が違うだけで同じ曲はずなのにユーフォで奏でるのとはまったく違う曲に思えた。
「な、なに」
綺麗な音なのに、なんだか変・・・・・。
「わかった?」
ひとしきり弾いてからバイオリンを下ろしてあたしを見た。
「音程がときどき微妙に狂うのも気になるけど、リズムがね、最初の拍だけ強調して吹いているように聞こえるんだ。ブレスのせいだと思うんだけど、強調されているように聞こえているんだ。メトロノーム頼りすぎたからかな?どちらかだけならさほど気にならないんだろうけど、両方合わさると聞いていて気持ち悪い感じになるんだ」
ああ、そういうことだったんだ。
えーと、これならばこう練習すればいいのかな・・・・・?
「守村さんならどんなふうに吹くんですか?あ、いけない、違った。弾きますか?」
「ええー。そうだなぁ・・・・・」
そう言いながらまたバイオリンを構え、さっきと同じ曲を弾く。あたしの吹くユーフォとはまったく違う曲を。目からうろこ。こんなにいい曲になっちゃうんだ。
「僕の習っている先生が、しつこくおっしゃるんだ。歌うように弾けってね。楽器はバイオリンとユーフォニアムとは違うだろうけど、音楽としては目指すものは同じなんじゃないかと思う」
ちょっとはにかんだように笑って、その人は言った。
「バイオリンってとても綺麗な音が出るんですね」
「うん、そうだね」
やさしく笑ったその人はとても大事そうに、手にした愛器を撫でた。本当にバイオリンが好きなんだ。
「僕は吹奏楽のことはまったくわからないから、本当のところは勘違いになっているかもしれないけどね。いくらか役に立てたのかな?」
「はいっ。ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げると、どうしたしましてとこたえてくれた。
えーと、ここはこうなるから、それから、それから・・・・・。あたしは頭の中で今聞いた演奏をどうやって自分のものにするか懸命に考えていた。
「ずいぶんとがんばっているんだね」
「あたし、吹奏楽を中学のときからやっているんですけど、その頃はちょっと人間関係のトラブルもあってあまり熱心にやってなかったんです。でも高校に入って、顧問の先生も熱心だし同じクラブの同級生や先輩方も真剣ですごく刺激を受けてるんです。みんなで全国大会に出て金賞を獲ろうって決めてるんです。
中学のときには全国大会に出ようなんて口では言っていても、内心では行けっこないて思ってて。でも今は望まなくちゃ夢はかなわないって思うんですよね。ですから全国大会に行くんだってかんばってるんです」
「望まなくちゃ夢はかなわない、か。いい言葉だね」
「あの、守村さんはなんで音楽専門の学校に行かなかったんですか?こんなに綺麗なバイオリンが弾けるのに」
あ、言っちゃった。プライベートなことはきかないつもりだったのに。いいや、聞いちゃえ!
「プロの音楽家を目指さないんですか?」
「ああ、うん、そうだね。少し前まではバイオリンを弾いていることだけしか考えていなかったんだ。プロのバイオリニストになるなんて、夢としか考えてなかったし。
でもきみの言うように望まなくちゃ夢はかなわないよね。だから、この間の二者面談では担任の先生に音大を受験するって言ったんだ。おかげで先生は頭を抱えていたけどね」
あたしのユーフォの演奏を聞いた日がちょうどその日だったそうだ。
「僕がバイオリンを習っている先生とうちの母と担任の先生とで相談して、音大受験に向けてがんばることになったんだ。一発勝負の受験になるけど、けんめいにやろうと思ってるんだ。夢をかなえるためにね」
そう言って少し照れてしまったように遠くを見つめている守村さんの横顔は男の人なのに、とても、そう、とても綺麗だった。
「はいはい、姉さんの恋バナはもういいって」
妹がうんざりしたように言った。
「あら、別に守村さんに恋していたってわけじゃないわよ。まあ、少しは気になる男性だったけど」
あの高校時代からもう十年が過ぎた。
その後、あたしと守村さんが話す機会はほとんどなかった。
あたしは吹奏楽部の練習に明け暮れ、なんとか地区大会から地方大会、そして全国大会に向けて必死だったから。そして、念願の全国大会に出場することができた。
そしてついに三年生の時には念願の金賞を獲ることができたのは、今も忘れられない思い出だ。
高校卒業後は大阪の私大に入り、そのまま大阪に就職した。
ユーフォニアムは大学でもやっていたけど、就職後は仕事に慣れることに必死で、それっきりご無沙汰になっている。
高校時代の友達となかなか連絡が取れなくなっているけど、たまに電話したり会ったりしているくらいだ。
今住んでいるアパートには、今年同じ私大に入った妹が同居することになっていて、二人暮らしになる。
引越し荷物を片付けているうちに、妹があたしのユーフォニアムを見つけたものでこんな昔話をすることになってしまった。
「それで、守村さんってどうなったの?普通高校に通っていた人が音大受験だなんて、一般人のあたしでも大変そうなことはわかるよ」
「ああ、それがね、受験近くにはがんばりすぎて少し体調を崩してしまったらしくてね、そんなに話す機会はなかったけど、ちょっと見かけたときひどくやせてしまっていてびっくりして思わず声をかけちゃった。
どうしたんですかって聞いたら、受験曲を練習するのに夢中になりすぎたって。親や先生にこっぴどく叱られたって言ってたわね。でも目の輝きは失われていなくて、夢に向かっての挑戦は続いているようだったわ」
「そうじゃなくて、あたしの聞きたいのは試験の結果はどうなったかってことよ」
じれったそうに妹が文句をつけた。
「それがね。あたしがたまたま音楽室に行ったときに守村さんがあらわれたのよ」
鮮やかな夕日を背景にして守村さんのシルエットが浮かび上がり、その片手にはバイオリンらしい楽器のケースが握られていたのが今も印象深く残っている。
「彼はね、『先生、受かりました!』って言ったの」
音大合格の知らせを受けて、すぐに結果を伝えにきたらしく、物静かな印象だった守村さんの弾んだ声が音楽室に響いた。
その後、守村くんがお礼にとあたしたちの前で弾いてくれた優しいバイオリン・ソナタは、
「すっごくステキだったのよねぇ・・・・・」
「やっぱり恋バナじゃん」
妹がぶつぶつ言った。
「守村さんって人、音大に入った後プロのバイオリニストになったの?」
「あー、ううん。大学卒業後にプロのオーケストラのテストを受けるつもりだったらしいけど、また体調を崩してしまって、今度は入院してしまったためにプロにはなれなかったらしいの。教職をとっていたから、そのまま高校の先生になったみたいだけど」
「そうなんだ。ちょっと残念だったね」
守村さんの話はそこで終わりになったのだけど、それから何日かして、妹がびっくりするような情報を持ってきた。
「ねえ、この間の話の守村さんって『もりむらゆうき』?」
「そうだけど」
「邦立音楽大学に入った?」
「どうだったかな。覚えてない」
「その人、プロになってるよ!ロン・ティボーって有名な音楽コンクールで優勝して、ソリストになってる」
「ええっ!?」
あたしはあわてて妹が見せてくれたちらしをつかんだ。たまたま市立図書館に行ったとき、同じ建物に入っているコンサートホールの催し物チラシの名前が目に留まったのだそうだ。
チラシに掲載されていたアップの写真は確かにあの頃の守村さんの印象が色濃く残り、更に魅力的になった姿だった。
「そうかあ。プロになってたんだ」
ふうん、ちらしに書いてある略歴によると、大学卒業後、一度就職したあとコンクールにチャレンジしたって。それから留学して、国際コンクールに挑戦。その結果が優勝!
知っている人がプロのバイオリニストになっただなんて、ちょっと嬉しくなっちゃうね。
あたしはちらりとユーフォがしまってある押入れの方を見た。
高校時代の夢がそこにしまったままだ。『望まなければ夢はかなわない』って言葉を彼は現実のものにしたのに。
また、やってみようか。
何回か見かけた市民楽団。迷って、でも仕事が忙しいからとか、今更音楽なんてとか、自分に言い訳をして足踏みをしていた。
「行こうよ!」
「えっ?」
「だから、この守村さんのコンサート!お姉ちゃん、この間とても綺麗な音を聞いたって自慢してたでしょ?だったらせっかく近くでやるんだからあたしも行って聞いてみたい!行こうよ」
「そうねえ」
ちゃっかり屋の彼女だから、あたしにおごってもらおうということなのよね。でも、一人では行きにくいから、それもいいか。
「そのかわり、あなたがチケットを取ってきなさいよ」
「わーい!」
昔の夢が、また舞い戻ってきた気がした。
この作品は、「響け!ユーフォニアム」というアニメを見ていて思いつきました。 以前書いた『とある受験風景」とつながっています。 ただ、ユーフォニアムについてはまったくの素人ですので、調音のことなどは一切わかっていません。 なんちゃっての話だとご理解ください。 |
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2015.7/18 UP