フジミ昔話
昔・・・・・ではありませんが、あるところに一人の青年がいました。
青年は住んでいたアパートが火事にあって焼け出されてしまい、しかたなく住む場所をさがしていたのでした。
何件もの不動産屋さんを廻って気に入った物件を探したのですが、なかなか見つかりません。
仕方ありません。この青年はバイオリンがことのほか好きで、どうしてもバイオリンが弾けるアパートが欲しかったのです。
「ここでもだめなら、この街にはもう他に不動産屋さんはないだろうなぁ・・・・・」
青年はため息をつきながら、最後の頼みの不動産屋さんのドアを開きました。
「ごめんください。部屋を探しているんですが」
「はいはい、どのようなお部屋をお探しですか?」
「僕一人が住む部屋なんですが、なるべく安い部屋が欲しいんです」
「安いお部屋ですか?ご予算はどのくらい・・・・・?」
青年が答えると不動産屋さんは渋い顔をしました。
「それですとかなり物件は限られてしまいますねぇ」
「それと、実は僕、バイオリンを弾きたいと思ってるんです・・・・・」
「楽器ですか」
「だめでしょうか?」
青年は不動産屋さんの顔を見てがっかりしました。やはりここでも駄目と言われそうでした。
「う〜ん・・・・・。実は楽器を持ち込んでも文句を言われない物件があることはあるんですがね。それでしたらお客さんの希望する家賃の範囲でもありますし・・・・・」
「本当ですか!?」
青年は大喜びしました。
「あ、でも何か問題があるんですか?」
「実はですね・・・・・。ここを借りるときには注意事項があるんですよ」
青年は不思議そうにして、不動産屋の次の言葉を待った。
「実は、夜は絶対に楽器を鳴らしてはいけないというものなんです」
不動産屋は奥の整理棚からごそごそと鍵を取り出して、青年を問題の物件へと案内しました。
「は〜っ。すごいお家ですね!」
「ええ。昭和の初期に建てられたものだそうですよ」
青年が案内されたのは、古びた洋館でした。
「でも、本当にここを貸してもらえるんですか?」
「実は取り壊しが決まっていまして、それまでの間という限定なんです。それでも数年くらいは住んでいられますよ。お急ぎのお探しだと聞きましたのでとりあえずここに決めて、ゆっくり次を決めたらどうかと思いましてね」
「ええ!いいですね!僕ここに決めます!」
「本当によろしいんですか?」
「ええ。ここならいくらバイオリンを弾いても他の人に迷惑をかけることはないでしょうからね。それにこんなに広いお家を僕一人で住めるなんて夢みたいです!」
「はあ。お客様がそれでいいのなら構わないのですが・・・・・。くれぐれもさきほど私が言いましたように、夜は楽器を・・・・・」
「弾いてはいけない、ですね」
「ええ。約束していただけますか?」
「それは構いませんが。でも、なんで楽器を夜弾いてはいけないんですか?」
「私もそれは知らされてはいませんが、とにかく絶対鳴らすなと家主さんから言われているんですよ」
「分かりました。絶対に夜はバイオリンを弾きません」
青年はうなずくと、この超ラッキーな不動産物件を探せたことにほくほくしながら契約したのでした。
「本当にだいじょうぶかな?」
契約を済ませた不動産屋さんは心配そうな様子で、帰っていく青年を見送りました。
「あの古屋敷には夜、楽器を鳴らすと化け物が出るっていう噂があるんで誰も借り手がいなかったんだが・・・・・。あのお客さん、ちゃんと約束を守ってくれるかなぁ?
・・・・・とは言っても、不動産屋では心霊現象のことまでは責任を負えないしなぁ」
不動産屋さんは後ろめたい気分でしたが、何とも厄介な物件を解決できて、ほっと肩の荷が下りたのでした。
こうして、青年は無事に引越しを済ませ、家の中を綺麗に掃除してほっと一息つきました。
「やれやれ。なんとか無事に引越しできたなあ」
ぐるっと家の中を見渡して満足げに笑いました。
「さて、と。じゃあバイオリンを弾いてみようか」
青年はちらりと窓の外を見ました。
窓の外はそろそろ夕方特有のまばゆいような金色の夕暮れが迫っていました。
「うーん。まだ夜じゃないよなぁ。少しだけなら弾いても大丈夫だろうな」
青年はほくほくとしながらバイオリンを取り出しました。調弦をし、指ならしをし、小曲を何曲か弾いてみました。
「この部屋、音響がばっちりだ。なんだか音楽をするために作った部屋みたいに思えるなぁ」
喜んだ青年はそのままバイオリンを弾くことに夢中になり、いつしか約束のことを忘れていました。
そして・・・・・とっぷりと闇がやってきたのでした。
ずんずんずんずんずんずんずん・・・・・・・・・・・・・・・♪
どこかからジョーズのような音楽が聞こえてくる気がしました。
「あれ?なんだろう?」
青年がバイオリンを止めると音は止まります。そしてバイオリンを弾きだすとまた音が聞こえてくるようでした。
青年は不思議に思いましたが、そのうちすっかりバイオリンを弾くことに夢中になってしまい、そんな音はどうでもよくなってしまいました。
「・・・・・やりましょう!やりましょう!やりましょう!やりましょう!やりましょう!・・・・・」
どこかから小さな声が聞こえてきました。
「あれ?今度はなんだ?」
青年がバイオリンを止めても声は聞こえてきます。
「・・・・・やりましょう!やりましょう!やりましょう!やりましょう!やりましょう!やりましょう!」
だんだん声が大きくなってくるようです。
そのときでした。
青年が何気なく窓の外を見ると、そこには背が高くて髪を振り乱した男が、にやりと笑っていました。
そして、音もなくす〜っと窓が開いていったのです。
−−おお!やっと見つけた!我がバイオリニストよ! マイ ミューズよ!!−−
そして、男は何の苦もなく窓から部屋の中へと入ってきたのです。
「ぎゃ〜〜〜っ!!!」
青年の悲鳴が夜の闇の中に響き渡ったのでした。
青年は今もこの家に住んでいます。
ですが、その顔はやつれて目の下にはクマが出来、いつもよろよろと腰をふらつかせています。時々腰をたたいてため息をついているようです。
そして、夕暮れの彼の影の隣には、憑り付いて離れない人外の男の影が並んでいるのです・・・・・。
ですから、良い子は夜バイオリンを弾いてはいけませんよ。そうしないと、とんでもないものに憑りつかれてしまいますからね。
おしまい。
2005.8/12 up