「選ばれし者」 感想文&妄想文

今回の新刊は、とても面白かったです!

久しぶりに感想文を詳しく書きたくなったくらいですから。(笑)

やっぱり音楽家として真剣に精進している悠季の姿を読むのはとても楽しいです。
ラブラブやHシーンが無くたってノープロブレム!・・・・・あったけど。ははは。



まずは簡単に赤ペンチェックから。

P17に「のんのんと晴れてた空から・・・・・」

とあるんですが、この「のんのん」という言葉が分からない。

前後の文脈から「穏々」あたりの字が入るんじゃないかと推測できるし、のんびりとというか穏やかにというような意味で使っているのだと思うのですが、ネット辞書で引いても出て来ない。

かろうじて「深い川や大量の水がながれるさまを表わす語」と出てきました。でもこれじゃ意味が違う。

もしかして熊本弁なんでしょうか?

知っている方がいらっしゃいましたら教えて欲しいです。


圭の車がシルバーのセダンと書いてありましたけど(P99)

以前はメタリック・グリーンのセダンだったはず(「バイオリン弾きの弟子たち」P14)
圭ちゃん車を買い換えたのかな?


P130 好き嫌いが別れる→分かれる



さてここで問題です。

次の文章(P180)には誤ったところがあります。指摘して正しい文章に直しなさい。(爆)


「・・・・・選ばれてる者には、見えもしないし存在もしない扉の向こうのことを、聴いている人たちは知りたいんや。自分が行けるだけでなく、扉をあけて案内してあげられるようになったら、鬼に金棒なんやけどね・・・・・」

この文章を分かりやすいものにする方法は二つ

・・・・・選ばれてる者にしか見えもしないし存在もしない扉の向こうのことを、聴いている人たちは知りたいんや。自分が行けるだけでなく、扉をあけて案内してあげられるようになったら、鬼に金棒なんやけどね・・・・・」

あるいは、

選ばれている者には見えているけど、普通の人には見えもしないし存在もしない扉の向こうのことを、聴いている人たちは知りたいんや・・・・・(後略)

と、こう修正かな?

これは先生がわざと迷わせる為にこんな書き方をしたんでしょうか?だとしたら読者を煙に巻こうとしている・・・・・?

もっとも秋月先生が校正しそびれたということも充分にあり得る話。100円くらい賭けてもいいかも?(笑)


P93のイラストのバイオリンが相変わらず初心者用で、弦の付け根にあるピン(正確な名称は分からないけど)が4本立っているのがいつまでたっても修正されていないのがいささかつらいですが、それはあきらめて無視します。(笑)

まだ他にもあるかもしれませんが、本来私はザルですし、今回の本の出来が良いので、重箱の隅はあまりつつかないようにしておきます。






さて今回のお話は悠季のロン・ティボー国際音楽コンクールが開始する少し前。本当の意味でのプロのバイオリニストとしての自覚を再確認する話がメインとなっていました。

福山先生からの指摘は、

フジミからの卒業
圭からの自立

つまり、一人の音楽家としてどんなバイオリニストを目指すのか、あるいはどんな音楽活動をしていこうと考えるのかを悠季自身が掴み取るところが前半。

以前、「ノクターン」の中で圭から怒鳴りつけられていたこと。

同じくノクターンの中でエミリオ先生から指摘されていたことや徹夜で考えて決意したことなど何度も繰り返してきたことを、悠季の中できちんと消化させたことになると思います。

決してまたまた同じことで悠季が悩んでいるじゃないかとか、焼き直しじゃないかなどとは考えてはいけません。(爆)

あの頃は漠然と決意したことであって、今回は圭とM響と演奏したシベリウスの成功が自信をつけていることから、本当の意味で「演奏家 守村悠季」としての自覚を促したのだということでしょう。

その福山先生の言葉を反芻して、自身の内省の場所として選んだのは神宮の森の中。

私は神宮の森を散策したことがないんですが、そんなに広いんですか?←東京近辺在住なんですが行ったことない(笑)

いろいろとマイナス面を上げて腰が引けていた悠季ですが、自問自答の末にようやく腹が据わったようですね。(笑)


さて、ついに腹が据わった悠季くん。

その晩は圭の(性感?)マッサージときっちり十日ぶりの交歓のおかげか、ぐっすりと次の日の夕方まで眠ってしまいました。

圭と仲たがいしていた時期なら、練習が出来なかったとさぞかしおかんむりになっていたでしょうが、前日にすっきりとこれからのことを決めていたせいか怒らずに起床。(ぷっ)

ハードな練習のせいで体力とスタミナが無くなっていたのか、低血糖でシャワー室でダウンなんてことになってしまいましたが。

この寝坊というか久しぶりにやっちゃった沈没にも(結果オーライではあるけれど)、いいこともあったようです。

悠季はぐっすりと眠って寝不足を解消した事と覚悟が決まったことでブラームス先生とチャンネルが合ったようですし、無自覚のうちにストッパーをかけていたけど、ついに枷が外れたという感じでしょうか。

人間の記憶というのは、詰め込んでも眠らないときちんと覚えられず、眠ることで脳内に整理されて出てくるそうですが、夢の中で無意識のうちに記憶し整理してあったものが、守村Bという不思議な形をとって悠季の中にあるブラームスの理想の音楽を示したのかもしれません。

おかげで協奏曲の問題点がすらすらと解けて、ついにはエミリオ先生から一発合格を貰うほどの出来。

本選での演奏が楽しみになってきました。(予選で落ちたらそれまでですけど、まあ最終章なんですから、そんなことはないですよね?)



その悠季の覚悟と共に、圭の方も覚悟を決めたようです。

「(前略)自立できるだけの金を演奏で稼げるバイオリニストと言う意味に聞こえて引っかかったのです」

「むろん芸術家といえども霞を食べて生きていくわけにはいきませんので、その観点も必要ではありますが、いまきみが持つべきは、もっと純粋な野心であると、僕はそう結論しました」

「(前略)きみの内なる音楽家魂が求めるところを最優先とする方針で、今後の音楽活動をお考えください。僕は全面的に支援し協力します」

『一人前のバイオリニスト』というフレーズが気になって深く考えていたようですが、一人前とはどう解釈するか。

数をこなした演奏会を開き、多くの客を呼んで人気と実力(と報酬)を兼ね備えた演奏家として立つか。

あるいは、自身の中の音楽を突き詰めて、納得の出来る演奏を披露出来る演奏家がプロなのだと解釈して、容易に演奏会は開かない。これは完璧主義の悠季ならあり得そうなことです。

悠季の納得がいく演奏をするまでコンサートを開かなければ、経済的なことはまったく破綻することになりかねないから、全部支えますという意味も含まれているんでしょう。

どんな結論を導きだして今後を決めても、全て肯定するという。

だから、庭を耕して暮らしても構わないなんて言っているんでしょうか。

それにしても「僕は貧乏を知りませんが」なんてすらっと言えるところはすごい(笑)

そう言えば、例のサムソンの裏切りにより、圭がゲイであるとリークされた事件はまだ未解決のはず。

もしかしたら今後悠季の演奏活動に何らかの影響が出て来る可能性があるわけで、それを防ぐために何か覚悟をしたということもあり得るのでしょうか。

神宮の森で、悠季は圭からの自立について話しあわないといけないと考えていたようですが、ひと足先に圭の方はそのあたりのことを考えて、覚悟をしたのかもしれません。

圭の方もシベリウスの共演の時の喧嘩で思わず言ってしまった「この僕に向かって!」という台詞は深く反省材料になっていたと思いますので、このあたりできちんと考えておいて欲しいですし。

以前【招聘】の中で、宅島氏に「わかってるだろうが、おまえの影響力はむちゃくちゃ強い。ってェか意図的にか?親方のほうは惚れた弱みで逆らいかねるんだろうが、おまえのほうは親方を金の鳥かごに入れとくのが愛情だと思ってる。そうだな?」

と言われています。

圭は「たしかに、そうした傾向があったことは認める。反省しているし、僕の願いは悠季の思うがままの飛翔だ」

と言っているわけで、その時は口だけや理性だったのかもしれませんが、今度はそれだけではなく、感情の上からも納得し、心から願い、行動することを誓ったということなのかもしれません。

もっとも、この本編の裏が「愛とクッキングナイフ」だということですので、夜の生活を自粛する覚悟を決めたのだということも十分あり得る・・・・・。(爆)

どんな覚悟と見切りをしたのか、これからの話で出て来ると思いますので、楽しみにしています。



話は変わって、エミリオ先生の別荘でのお話が後半。

ヒロミ・マルセル・シャントレーというライバルが出現。

なかなか癖のある男の子(二十歳すぎてるけど)のようです。

腕はなかなかのものがあるようですが、その言動はかたくなで社交性にいささか欠ける。

悠季の目線はどちらかと言ったら、年下の子をほほえましく見ているといった感があります。

ライバルとしての評価は・・・・・まあ、どうなんでしょうね?

どうもラスボスには思えず、せいぜいが中ボスに思える。(爆)

彼の演奏が余裕がなくて、音楽にひたる邪魔をしている肩の力を抜けという感想は、悠季自身が以前に ノヴェンバー・ステップス1996の中でナイジェルさんから貰った評価と同じ。←悠季自身は知らないけど

【人の振り見てわが身を直せ】

いい教訓を得たようですね。

エミリオ先生の別荘で、先生の演奏されたLPレコードを聞いて、自分の理想とする演奏がこれだと気がついた悠季。

シャントレーくんが悠季のブラームスを聞いたときに先生直伝なのかと質問されています。それだけ似ているところがあるらしい。

これって以前橘さんが言っていた「ロスマッティ色が出てきた」(招かれざる16人の客が来た日)と関係するんでしょう。

悠季は先生の演奏の模倣になっているのではないかという不安を持っていましたが(幻想のシャコンヌ)エミリオ先生の演奏を模倣するのではなくて、今後の自分の理想の演奏がこれなのだと納得したようです。

橘さんの言葉があったことを書かなかったのは、これまた秋月先生が書き忘れってことは・・・・・ないですよね?

きっとあからさまに書かなくても、読み手に分かってもらいたいってことなんだと思います。たぶん。




悠季の覚悟とこれからの理想とする演奏を思い定めたというところで、次ではいよいよコンクールの場面が描かれるのだと期待しています。


次巻が楽しみです♪


出来れば桜が咲く頃に次が読みたいです。梅が咲く頃ならなお結構。

朝顔やヒマワリが咲くまで待たされるのは(涙)、どうぞご勘弁です。









【追記】

H様よりメッセージをいただきまして、目からうろこが落ちる読み方を教えて頂きましたので、許可を得てこちらに記載させていただく事にしました。




【「・・・・・選ばれてる者には、見えもしないし存在もしない扉の向こうのことを、 聴いている人たちは知りたいんや。自分が行けるだけでなく、扉をあけて 案内してあげられるようになったら、鬼に金棒なんやけどね・・・・・」】

感想文の文例によるとここを、ヨシ子さんは「悠季には扉が見えている」と 解釈しているのですよね。

私は逆に取っておりました。

音楽の才能がある者=選ばれている者には、もともと見えもせず、その存在すら 意識せずにいる「音楽の世界(仮)」との間の扉が聴衆には邪魔になって、 扉のむこうに行けずにいる。

だから、聴衆は音楽家にその扉を開けてもらい、案内してもらえたら嬉しい、それが

「自分が行けるだけでなく、扉をあけて案内してあげられるようになったら、鬼に金棒」

と読みました。いかがでしょうか?





なあるほど!でした。
まったく逆の解釈もあり得るわけです。

頭を固くしていたらダメですね。


どうもご教示ありがとうございました!

もうひとつ、赤ペンチェックも教えて頂きまして、

玉木整体院→玉城整体院 (P49)

だそうです。さすが!

2010.12/14up