大学の思い出







「ねえ守村さん、音楽概論Bをとってたわよね?」

「ああ、とってるけど」

「悪いけど、よかったらノートをコピーさせてくれない?」

「かまわないよ。どうぞ」

「サンキュー!今コピーして来るから待っててね」

学食の一隅から守村と女性の声のやり取りが聞こえてきた。

住吉は、定食Aのトレイを持って近づいていった。

どうやら守村の相手は声楽科の子らしい。

音楽概論はどちらも必修だから、バイオリン科の守村のノートを借りようというのだろう。

それにしても。

「相変わらずもてる奴っちゃなぁ」

住吉は嬉々としてノートを持った彼女が立ち去るのを待って、守村の隣へと座った。

「そんなんじゃないよ」

守村は苦笑しながら住吉の言葉に応えた。

「僕が毎回きちんと出席してノートを取っているのを知ってるから借りに来ただけさ」

確かにまじめで几帳面で、その上 字がきれいな守村のノートは借りればとても役立つものだろう。

彼は専門的に音楽教育を受けるのは大学が初めてという実に珍しい経歴の持ち主で、他の音楽科のある高校出身者と比べると格段に知識が足りないことを嘆いていたから、授業は取れるだけとっているし、出席すると実に綿密なノートを書いた。

しかし、彼女が守村に借りた理由はそれだけではないはずだ。

借りに来たのは彼女だけではないのだから。

そう、住吉が知っているだけでも片手はいたと思う。

まあ、音楽大学は圧倒的に女子大生が多いのだから、女の子ばかりが来ていても違和感がないので、彼女たちの意図に気がつかなかったのかもしれない。

しばらくして、コピーを終えたのか、守村のノートを返しに彼女が戻ってきた。
   
なかなかかわいい子だ。

自分の彼女がもうすぐここに来るのを知っていなければ、自分がぜひお茶に誘ってみたいところだが。

見るともなく見ていた住吉はそんなことを考えていた。

「どうもありがとう!お礼に、今度お茶をおごるからね」

「別にいいよ。これくらいなんでもないから」

「でも、申し訳ないから。あ、それなら授業が終わったらコーヒーでも」

「ごめん。今日はフジミの練習があるんで授業が終わったらすぐ帰らなくちゃいけないんだ」

「そ、そう。残念」

「だから気にしないでいいから」

「ええ、それじゃまた」

いかにもがっかりした様子で彼女が立ち去っていくと、住吉は聞えよがしなため息をついてみせた。

「あ〜あ、もったいない」

隣の席で、いかにも聞かせていますというようなため息をついてみせた。

「もったいないって、女の子におごってもらうわけにはいかないじゃないか。それもノートを貸すくらいのことで」

なんとも守村らしい見当違いな事を言う。

「ちゃうって。あの子が言いたかったのは、お前ともう少しお話したいってことやろうに。

せっかく女の子と親しくなるチャンスを逃してもったいないって言ってんのや。お前、今あの子をフッたってこと、分からへんのか?かわいい子やったのになぁ。ああ、もったいない!」

「フッたって言われてもねぇ」

守村は苦笑している。また冗談を言っているくらいにしか考えてないらしい。

こんなことを繰り返していたのなら、未だに彼女が出来ないと嘆いているのもうなずける。

目の前をいくつものチャンスが通り過ぎても、気がつかなければどうしようもない。

考えてみると、守村という男は女性からアタックもあるということを考えていないようなところがある。

当人は女性に恋愛感情を持つことが出来るし、ホモというわけでもないらしいのだが、どうにもこの手のことには淡白に思えた。

それとも女性に対してはあこがればかりが先行しているのだろうか?

住吉の今の彼女のことを入学時から好きになっていたらしいが、学内コンクールに出た時に告白して、お断りをされてもたいしてがっかりしていない様子だった。

住吉と付き合っていることに気がつかなかったことも、告白して断られてもあっさりと引き下がったことだって、本気で恋人が欲しいとは思っていないということを証明しているようなものだ。

「守村は上に姉ちゃんが三人おるんやったな?」

「そうだけど」

突然住吉が言い出したので、不思議そうな顔をした。

「姉ちゃんたちが横暴だ。姉を女だと思ってなんかいられへんって言ってたよな」

「まあね。末の弟なんて、こき使われるか邪魔にされるかばっかりさ」

「それにしては、彼女のことをなんや理想化してるみたいやな」

住吉がつき合っている声楽科の彼女のことを以前ちらっとそんなふうに言っていた。やさしく控えめな彼女にあこがれたのだと。

「守村の頭んなかでは、横暴な女と理想化された女しかおらんのと違う?本当の女って、みんな両方をもってるんやで」

「うーん。まあ、そうかもしれないね。頭では分かってるんだけど、ついつい思いこみが大きくてね」

苦笑しながらそういってみせた。どうやら自分でもそんなことを考えていたらしい。

「守村が本気で惚れる相手っていったいどんな相手なんやろうな」

ふと、見てみたいと思っていた。

「きっと守村が誰かに本気で惚れたなら、どんな邪魔な男がおっても諦めないでプロポーズするんと違うかな」

なにしろ担当教授のつけたあだなが『越後の頑固者』だ。

「どうかなぁ」

「もしかしたら情熱的な彼女に惚れられて、プロポーズされて押し切られるかもしれへんけどな」

「あはは。そんなことがあるはずないけど、あったらいいね」

実に楽しそうに笑う。

こいつ、ほんまに自分が陰で女の子たちに注目されてるってこと知らんのな。

「守村に恋人が出来たら紹介せいよ。どんな彼女を射止めたのか見てみたいから」

「まあ、そんな相手が出来たらね」

なんとも気のない返事。

今守村の頭の中で一番多くの場所を占めているのはバイオリンなのだろう。

恋人を作りたいという願望はほんの少々。

もし彼女が出来ても、バイオリンと私とどちらを選ぶと尋ねられたら、すかさずバイオリンと答えそうな奴だ。

けれど、孤独にバイオリンだけを友とする偏屈さは持ち合わせていない。

情が深くて付き合えばとても誠実な彼は、きっと誰かにめぐり合うだろうと思う。

「きっとやで」




そして。




守村が恋人として選んだ相手を住吉が知ったはずっと後のことで、














彼がどんな相手を選んだのかを知って仰天することになったのは、言うまでもなかった。