コンサート
「やあ、君は今暇かい?」
久しぶりに会った友人は、僕の顔を見て言った。
「暇っていうのは、感じ方による」
僕がぶすりと言うと、友人は大笑いした。
「そんな言い方をするんなら、暇なんだろうな。だったらこれをやるよ」
手渡してくれたのは、一枚のコンサートチケットだった。
「・・・・・なんだ?これ」
「だから、暇つぶし用のコンサートさ」
ロン・ティボー国際音楽コンクールの優勝者および受賞者が出演する、彼らの音楽活動に協力するという名目で開かれている若手育成のためのコンサートチケットだった。
「行く予定の奴が都合が悪くなってこっちにくれたんだが、俺も用事が出来たんだよ。よかったら行ってくれ」
「バイオリンのコンサート、か・・・・・。まあ気が向いたら行くよ」
僕はポケットの中にチケットを押しこんでそれっきり忘れてしまった。
確かにエージェントに渡す予定の期限内ぎりぎりに作品は出来ていて、業者を呼んで持って行かせた。
しかし、どうにも出来に不満が残っていたせいで、気分が晴れない。
もう少し時間があればいじっていただろう。
そうして、もしかしたら破棄して最初から作り直していたかもしれない。
期日などどうでもいいと開き直って。
そうなったらさぞかしエージェントが頭を抱えただろう。
まあ、それを考えれば期日に引き渡したのは正解だったかもしれない。
もう向こうに到着したはずだがと思っていたところに、電話がかかってきた。
「アロー」
エージェントのトマスだった。
《ああ、いたね。ちょうどいい。これから依頼主を連れてそっちへ行くから》
「・・・・・何か不都合でもあったのか?」
《いや、逆さ。向こうがいたく気に入ってね。もう一点注文したいと言ってきたんだ》
「他の日にしてくれないか。友人に招待されているんでこれから出かけなくちゃいけない」
別に用事などない。ただ、疲れる仕事をしたあとにわずらわしい社交行事をしたくないだけだ。
あまり気に入らない作品をけなされるのは、自分が分かっているだけに気に障るものだ。
まして、それをほめられたりしたら、それこそ壊したくなるだろう。
《・・・・・本当に招待されているのか?》
トマスは僕のこの手の言い訳には懐疑的だ。
多少人づきあいが気難しいところがあるとは自分でも自覚しているからだ。
思わず言葉に詰まりそうになったところで、天啓のようにポケットの中にあるチケットの事を思い出した。
「実はコンサートのチケットを貰ってね。もうすぐ始まるんで急いでいる」
《ふうん?そういうことなら仕方ないか。じゃあ近いうちに日を改めてセッティングするから、ちゃんと出てくれよ》
「分かってる。スポンサーは大事にするさ」
電話を切ってから、渋々服を着替えるとコートに手を伸ばした。
後で僕が居留守を使っていてここにいた事をトマスに知られたりしたら、後々まで嫌味を言われることになるだろう。
やはり出かけるしかないようだ。
コンサートは既に始まっていた。
2人のバイオリニストが出演するらしいが、最初のバイオリニストの演奏は最後の1曲しか聞けなかった。
まあ、可もなく不可もなくという、どうしても聞きたいという出来とは思えなかったから惜しくもない。
休憩になって、タバコを吸える場所を探しまわったが、これがやっかいだった。
喫煙者にとって世間はだんだん肩身が狭くなっていて、もうじき家の中以外ではタバコを持ち歩くことも出来なくなるかもしれない。
とは言っても、禁煙するつもりはさらさらないが。
なんとか探し出して、1本吸って、席へと戻ってきた。
そのときになって、自分がこれから聞くバイオリニストが誰なのかも知らないことに気がついた。
まあいい。あくまでもこれは時間つぶしなのだから。
客席が暗くなって、あまり熱心ではない拍手と共にバイオリニストと伴奏者が舞台へと現れた。
「ふうん。東洋人。ヤパンか。・・・・・おや見覚えがある、か?」
と、思った瞬間、思わず席から身を乗り出していた。
どこかで見たことがあると思っていたら、それはケイの恋人であることに気がついたのだ。
確か、名前は・・・・・ユウキ・モリムラ、だったか?
呆然としているうちに、バイオリニストは演奏を始めた。
演奏は実に秀逸だった。
彼が音楽に大して真摯に向き合い、音楽を心から愛し楽しんでいるのが良く分かる演奏だった。
それは会場にいる誰もが分かっていたようで、最後には惜しみない拍手と2度のアンコールでむくわれた。
そして、楽屋ではもう一つのサプライズが僕を待ちうけていた。
急遽ロビーで買いこんだプログラムとCDを手に、サインを貰おうと舞台裏へ出向いていくと、そこにはあのケイが控えていたのだ。
彼は僕がこの場に現れたことにひどく驚いていた。
僕がユウキに何か仕掛けるつもりで現れたのではないかと疑念に思ったようで、ぎゅっと眉をひそめて出迎えた。
「やあ、久しぶりだね。こんなところで出会うなんて驚いたよ」
「・・・・・いったいどこでここのコンサートをかぎつけたんですか?もしや他の連中も一緒に来て何か企んでいるのではないでしょうね」
「失敬だな。こっちだって驚いたさ。僕はただコンサートを聴きに来ただけなんだ。
もっとも、このチケットはたまたま行けなくなった奴からの貰いもので、ここに来るまで
誰が演奏するかも知れなかったくらいなんだ。だから本当にラッキーだったと思っているよ」
僕が花束を持たず服もたいして気を入れてめかしこんで着ていないのが見て取れるはずだから、本当に偶然なのだということを分かってくれたようだ。
「意外だったな。君が後ろに控えているのなら、もっと大きなコンサートを開いているんじゃないかと思っていたよ」
ケイはわがままな男で、音楽に関してなら思い切ったことをやってのけるから、自前でオーケストラを雇ってコンサートを開くくらいのことをして、大々的に恋人を売りだすのではないかと考えていたが。
「悠季はそんな後押しを望んでいません。それにこのコンサートはロン・ティボーの企画したものですので、以前から決まっていたものです」
いかにも仕方ないという口調だった。
「しかし、手ごたえは大きい。
この手のコンサートを何回か開いていけば確実に悠季の演奏は認知されていくのが分かっただけでもよかったかもしれません」
ロン・ティボー国際音楽コンクールは、優勝者と入賞者を手厚く援助する。
ただし、金銭的なものではなく、コンサートの場を与えるという教育的なものであり、チャンスと試練をもたらす。
これで一気に好評を獲得して、今では巨匠と呼ばれるようになった演奏家も数多くいる。
そうでない者も多いが。
「とてもいい演奏だった。今度は友人たちも誘って聴きに来ることにするよ」
「ええ、ぜひそうして下さい」
ケイがそう言うのを聞いて、いささか違和感が残った。
「おや、君ならきっと、『もう来るな』とでも言うと思っていたのだが」
そう言うとケイは苦笑した。
以前、ユウキに似せた石像を、必死で取り上げようとしていた執着心の強い男とは思えない言葉だった。
「音楽以外のことでしたら、僕は未だに心が狭いですよ。『もう来るな!』という言葉も幾らでも言ったでしょう。
しかし、音楽は別です。悠季の音楽は誰からも愛される素晴らしいものです。
それを僕の子供っぽい独占欲で独り占めしていいものではない。悠季も許してはくれません。ですから、誘い合わせてどうぞ聴きに来てください。
ただし、僕が寛大なのは彼の音楽についてだけですので、誤解されないようになさってください」
最後に釘をさすところは、やはり彼らしい。
「それはよく分かっているよ」
僕は肩をすくめて苦笑した。
「では、どうぞ」
今日も大幅に増えたというファンたちをかきわけると、ケイは僕をユウキ・モリムラのいる控室の中へと招き入れてくれたのだった。