美貌の果実  林檎編








 
今年はずいぶん妙な天候で、いつまで経っても日中は真夏日という日がつづいていたが、それもどうやらおさまってきた。

 朝晩は毛布が必要になり、あたたかな悠季の素肌に寄り添うのが喩えようもなく心地よい。まぁ、いつでも彼の肌は心地よいものですが。

 ここ、富士見三丁目の住宅街にも秋の気配が濃厚だ。少し前まではこの時間ならほの明るかった空はもう紺色に染められ、細い月がかかっている。まだはしりの金木犀が、どこからともなく香ってくる。

 帰りにのぞいたデパートの地下では、なかなか良いものが見つかったし…これで今夜は悠季と二人、ゆっくりしましょう。明日は休みですしね…ふふ。







 バッハの世界から戻ってきた僕はバイオリンを肩からはずして、う〜ん、とひとつのびをした。

「さて、ポトフの具合はいかがかな」

 今日はこれでお仕舞い、と拭いあげたバイオリンをケースにしまう。圭からのリクエストがあれば別だけど、朝から没頭していたのでちょっと肩がこりこりだ。

 朝からなんだかすごくバッハな気分だったので、一日没頭しても大丈夫なように『晩ご飯はポトフ!』と決めていたんだ。あれなら材料を鍋に放り込んでゆーっくりごく弱火にかけておくだけだからね。ここのところ随分涼しくなったから、晩ご飯に暖かいものがおいしくなってきたし。

 …でも、さすがにお昼ご飯を忘れていたからお腹がすいてる。階段を降りてる最中に低血糖で少し目眩が…。何かお腹の虫養いにつまんでおこうか。







「ただいまかえりました」

 まず玄関で光一朗氏にあいさつを。そうしていると、奥から悠季が迎えに出てきてくれる。

「おかえり」

 微笑んでいる唇に、そっと挨拶のキスを。…おや。

「林檎の香りがします」

 あ…、と悠季はちょっとしたいたずらがみつかったこどものように、上目遣いになって

「わかっちゃう?さっき小腹がすいたから林檎齧ったんだよ」

「それは、遅くなってすみませんでした」

 悠季は笑いながら手を振って

「あは、お昼ご飯忘れてたもんだからさ。もらいものの林檎があんまりおいしそうで。すごく綺麗な紅玉なんだよ。めずらしいだろ?」

「こうぎょく?」

「うん、そういう名前の林檎。しらない?紅の玉と書いてこうぎょく」

 林檎の名前など、あまり気にかけたことがありませんでした。

 ダイニングのテーブルには籐籠に5つ程の小振りの林檎が盛ってあった。蛍光灯の明かりを反射してつやつやと紅い。

「なるほど、これは紅玉の名前にふさわしいですね」

「だろ?酸味がきついからかな、この頃あまり見かけないけど。お菓子や料理につかってもおいしいんだ。無農薬だから皮ごと食べれますって、お隣さんが分けてくださったんだ」

 夕食の支度にむかう彼の背中に声をかける。

「とても良い香りがしました。もう一度いただいてもよろしいですか?」

「え、君も齧る?剥こうか?」

「いえ、こちらのほうを…」

 そのまま背後から抱き寄せて、首を巡らせて唇を重ねる。温かく柔らかく、林檎の味がする舌をゆっくりと味わった。静かな室内に吐息がもれるまで。

「…ごちそうさまでした」

「…ばか…」







 キスで腰砕けになりそうだった僕だけど、お昼を食べてないって言っておいたのが効いたのか、圭はそれ以上のコトを仕掛けてこようとしなかった。おかげでちゃんと食事ができたけど、ひょっとしたら圭もお腹が空いてたのかな。

 一日煮込んだポトフの脛肉はすごく柔らかくて、圭は、蕩けるようです、って嬉しそうに平らげた。デザートには紅玉でつくった焼きりんご。

「なるほど、甘いだけでなくて酸味がきいてますね」

「うん、ほかのでつくるとなんだか味がぼけちゃうけど、これならね」

 あ、忘れてた。飲み物どうしょうかな。

「圭、コーヒーでもいれようか」

「いえ…いいものがあるので、少しまってください」

 そういって台所に消えていったけど、戻ってきた彼の手には一本のボトルとワイングラスが。白ワインかな?

 グラスに注ぐとしゅわ、と炭酸の泡がはじけた。それと同時に爽やかな林檎の香り。口にするとさっぱりとしていて。

「おいしい。これは?」

「シードルです。国産のものもありますが、これはフランスのものでどちらかというと甘口なんですが…あっさりして君の好みだと思いまして」

「うん、いいね。するする飲めちゃう。危ないかな?」

「大丈夫ですよ。シードルはほとんどがワインよりアルコール度数が低いですから」

 笑いを含んだ返事がかえってくる。なんだかちょっとアヤシイような気もするけど?

「ふーん。じゃ、もう少しくらい大丈夫だね」







 悠季の発言に、今夜の企みを見透かされたか?とドキリとしたが、どうやら杞憂のようだ。

悠季が風呂をつかっている間に後片付けをすませ、今夜の演出に必要なものを寝室に用意しておく。

買い込んできたもう一本のボトルと、ブランデーグラス。おっと、マッチを忘れるところでした。







 風呂から上がると、テーブルの上はもうあらかた片付いていた。残っているのはクーラーにいれてあるシードルのボトルと、グラスがひとつ。

「まだよく冷えていますから、のど湿しにどうぞ」

「ありがと」

 うん、確かにワインほど酔いがまわった、って感じはしない。風呂に入っても変わらないんだからアルコール度数が低いっていうのは嘘じゃないんだろう。ボトルを取り出して確認すると…4%。ビールより低いんだ。

 僕はアルコールが入るといつもより、その…ベッドで素直になってしまうらしいので、圭がまたなにか企んでいるんじゃないかと疑ってしまったんだけど…考えすぎだったかな。まぁ、いまさら…って感じがしないでもないけど、圭って時々、普通じゃ考え付かないようなことしでかしてくれるもんな。

 なぜか熱くなった顔を冷ますために、よく冷えたシードルをのみほした。

 戸締まりを確認して、光一郎さんにおやすみなさいを言ってダイニングに戻ると、圭が風呂から上がってきていた。バスローブを羽織ったままの身体はまだしっとりしているみたいで、髪も濡れている。

 もう何回も見ているはずなのに、それでもドキリと心臓の奥が疼く。

「もう、ちゃんと乾かさないと風邪ひくっていってるだろ」

 疼きを隠すために手を伸ばして、被ったままのタオルでごしごし頭をこすってやる。いつものことだけど、圭ってなんでこんなに嬉しそうにこすられるままになってるんだろう。まったく、妙にこどもこどもしてるんだから。






 腕を伸ばして腰を抱き寄せると、タオルを持ったまま悠季は固まってしまった。そのまま、そっとキスをする。

「二階にあがりましょう?」

「…ん…」

 どうやら、今夜の悠季は照れ性がでているようですね。では、あの演出は気分を変えるのにも役立つはず。

 寝室のドアを開けて灯りをつけると、悠季は『?』と、こちらを振り向いた。ベッドの脇に小さなテーブル。そのうえには先程と違うボトルとブランデーグラスがひとつ。小皿のうえにはマッチ。

「寝酒の用意をしておきました」

「んー…今度はなに?」
 照れた表情から一変して、興味深々とばかりに悠季がボトルを取り上げる。

「えーと…カルヴァドス?」

「ええ、林檎のブランデーです」

 そっとボトルを取り返して栓を抜き、グラスに少したらす。

「悠季、灯りを落としてください」

「え?うん」

 悠季が灯りを調節して、殆ど手許が見えるかどうかの暗さまで落としてくれる。グラスを軽くまわして、そこにマッチを擦る。

「あ!!」

 薄青の炎が悠季の驚いた顔を照らし、やがてふわりと消えていく。残った酒を小皿に捨てて、新たにカルヴァドスを注ぐ。

「どうぞ」







 グラスは炎のせいで、ほんのり温かだった。顔に近付けると豊かな香りが立ちのぼった。さっきのシードルが瑞々しい林檎なら、これは芳醇な香り。口をつけるとブランデーらしい豊かで深い味がした。

「おいしい…。おなじ林檎のお酒でも、これは大人の味わいって感じがする」

「もう少し、いかがです?」

「うん…もうちょっとだけでいいよ。あ、ありがとう。火をつけるのは、これの飲み方なの?」

「僕も教えてもらったので、本当のところは知りませんが…火を入れることでグラスを暖めて、香りや味を生き返らせると」

「ふーん…けどさ…暖めるのなら他にも…あ、いや、忘れて」

 とんでもない発想に思わずグラスの中身を飲み干してしまう。







 ふと我にかえった、とばかりに空になったグラスを僕に返した悠季の頬が赤いのは、カルヴァドスのせいばかりではなさそうだ。三度注いだグラスを手に、なにげないふうを装ってベッドに腰掛ける悠季の隣に腰をおろす。

「他にも…なんです?」

 耳許でそっと囁く。悠季が、ほぅ…と吐息をつく。彼の中で眠っていたモノが目覚めるのが感じられる。ねだる口調でさらに囁きかけた。

「ね、教えてください。悠季」

 悠季はグラスを持つ僕の手に自分の手をかけて、ゆっくりと僕の方に振り向いた。そのまま自分の口許にグラスを近付け、中身を口に含んだ。

 そして、まるでバイオリンをかまえて弓を置き、最初の一音を引きだすのと同じくらい自然な一連の動作で、僕の唇に自分のそれを噛み合わせた。

 暖かで芳醇な液体が口中に満ちあふれ、互いの舌先がその中を泳ぐ。

 飲み込みきれなかった液体が悠季の口許から溢れて、鎖骨の窪みに流れていき、それを追いかけて僕の舌が彼の喉を辿る。

「あぁ、圭…」

 ビブラート掛かった甘い声を悠季の喉から聴く。

「今夜は、林檎づくしの夜ですね…しっていますか?ここをアダムの林檎というのですよ」

 そうっと喉仏に歯を立てて、ゆっくりと舐めあげる。

「んぁ…ふ…」

 パジャマのボタンを外し、滑らかでしっかりとした胸を撫でさする。仰ぎ見た悠季はまだ眼鏡をかけたままで、うっとりと眼を閉じている。

「ああ、ここにも…紅玉が二つ」

 辿り着いたそれを、ふた粒同時に摘まみ上げる。

「ああっ」

 中指と親指で捏ね上げながら人さし指の爪で先端を掻くようにすると、悠季は腰を捩るようにしてのけぞった。自然差し出された形になる胸元に唇を押し当て、しっかりと今夜の印をつける。

 左手ではなおも乳首への責めを続けながら、右手を仰け反る背中に添えてそうっとシーツに横たえる。そのまま、その姿をしばらく鑑賞することにした。

「んあ…う…圭、圭?」

「なんです?もっと?」

 片方だけに間断なく与えられる刺激のせいか、もどかしげに頭を振ると、柔らかな彼の髪がシーツの上に散る。レンズの向こうには、ほんのり紅い目許と潤んだ瞳。このままクリアな視界で僕を見ていて欲しいような気もするが、やはりこのままだと危ないだろう。空いた片手で眼鏡をとりさると、いきなり両手で頭を抱え込まれた。

 お望み通りに、固く凝った突起を口に含んで吸い付き舐め転がす。

「ああ…っ…くぅ…ふ…」

 彼の唇からは艶かしい喘ぎ声がこぼれだし、僕の耳を愉しませてくれる。たっぷりと濡れて、芯を持ったそれにきゅっと噛みつくと

「あう!」

 びくんとはねて、隣に横寝の体勢になっていた僕の腰に悠季の片足が巻き付いてきた。

「失敬。痛かったですか?」

「う、ううん…ねぇ、もう…」

 ふふ、と笑みで彼の望みを退ける。

「まだですよ…もう少し、楽しませてください」

「…意地が悪い、ぞ…」

 そういう彼の声も、本気で嫌がっているわけではない。その証拠に僕のバスローブの胸元にしなやかな指先を滑り込ませると、紅い舌先でそこを嬲るように舐めあげた。






「う、く。悠季…」

 押し殺した圭の声が降ってくる。されてるばかりじゃどうにかなってしまいそうで、たっぷりと唾液で濡らした突起を指先で転がす。そう、圭が僕にしてくれるようにね。

 僕の足にあたっている圭のモノはもう固く猛っていて…パジャマをはいたままだったのを後悔した。圭はまるで僕の考えを読み取ったみたいに、乱暴にも思える程の勢いでブリーフごとパジャマのズボンを剥ぎ取って、のしかかって来た。圭の重みが心地良い…。

「…今夜はゆっくり楽しみたいと思っていたのですが…」

「まだ、だよ…。もっと…あ、くぅ…」

 どうしても息があがってしまい、声が途切れ途切れになってしまう。圭の大きな掌が僕自身を包み込み、そっと扱きあげた。熱い吐息が敏感になっている先端部に吹き掛けられる。

「あ…だめ、だめだ…!」

 僕だって、彼を…!手を延ばして圭を包み込むと、それは僕の手の中でずしりと重みを増したかのように思えた。身体を入れ替えるようにして、手の中のそれを愛せるように覆い被さる。口に含み込み舌で丁寧に舐めまわすと、えらの張った先端部はより体積を増して、とろりと先走りを溢れさせた。

「う・く…ぅ。悠季…」

 うわずったようなバリトンが僕の鼓膜を震わせる。圭、圭、気持ち良い?

 そうしていると、圭は僕の足の間に入り込み、尻を撫でるようにしてから双珠を柔々と揉みしだいてきた。

「く…う、ほら…ここにも小さな林檎が二つ…」

 そういいながら、片方を口に含まれた。軽く吸うようにしながら舌が撫でていく。

「っ…ひ…!」

 もう片手の指がぬくりと僕の中にはいりこみ、そこを探り当てようと蠢く。

「あっ、あっ…圭、圭!もう…きて…きて」

 体中で圭を欲する。もう、神経の一本細胞の一欠片までが彼を欲しがって飢えを訴える。

 ずるり、と指が引き抜かれ、僕の飢餓は頂点に達する。






「きてください、悠季」

 起き上がって胡座をかくように座りなおし、悠季に手を差し伸べる。華奢な腰に手を添えてやり、彼が僕の上に身体を落としていくの助ける。

「あ…あ、あ、あ…」

 固く眼を閉じたまま、悠季が僕を飲み込んでいく。

「く…う…」

 思わず漏れた呻き声に、彼は薄く眼を開けて僕を見つめると、ふふ、と軽く微笑んだ。ああ、なんて…なんて…!!

 もう殆ど飲み込まれていたモノを少し引き抜いておいて、一気に最奥まで突き上げた。スパークするような快感!

「あああっ!!」

 悲鳴のような嬌声をあげて悠季が仰け反る。その晧い首筋に噛みつくようなキスを送り、そのまま律動を開始した。

 悠季の細腰がうねり揺らぎ、僕自身を捏ねあげ扱きあげる。

「悠季…ゆうきっ…!!」

「圭、圭もうだめっ…あぁぁっ…いく…っ!!」

 二人で頂点に駆け上がる。白く輝く瞬間が訪れて、悠季は僕の手の中に、僕は悠季の中に、熱いものを注ぎ込んだ。






 ふわふわと虚空に漂っているような感覚から、ゆっくり戻ってきて、最初に感じたのはカルヴァドスの香りだった。

 眼を開けると、圭が少し心配そうに覗き込んでいた。手にはあのブランデーグラス。

「だいじょうぶですか?」

「うん…なんか…ひさしぶりに気を失っちゃったね」

 照れくさく笑った僕にグラスを差し出して圭も微笑んだ。

「すみません」

「いいっこなしだよ」

 もう一度、口移しで圭にもこの香りを。

 圭の掌が僕の胸元をまさぐりだしている。

「もういちど?」

「…無理強いはしませんが…」

 思わず笑ってしまった。

 すました顔で言ってるつもりでも、声がおねだりモードに入ってるよ。

「いいよ…。僕も欲しい」

 今度は、もっとゆっくり楽しもう。君が初めに言ってたようにね。



  秋の夜は長いから…。







                         そして夜は耽ゆく…(笑)







2005.10/13 up